篠原は「人新世」の前触れとしてコロナ禍をとらえ、マイク・ディヴィスやデイヴィッド・ウォレス・ウェルズの素早い反応なども紹介していた。
学生時代に、このコンベンションに付き合うのは勘弁してもらいたいと思って以来のことだ。
そのような状況のなかで、役所によって殺虫剤が空中散布された結果、友人の庭にやってきた小鳥が次々と死んでしまうという事件が起こります。
ちょっとドキドキしたこと、少し危なかったという体験は、子ども達にとっての 武勇伝であり、それは 一つの成長に繋がります。 お父さんが自宅で仕事をして、大きい姉さんが仕事場に出られず、弟が学校に行けず、早やめに小学校から帰ってきた末っ子が騒ぎ、いよいよ爺さんか婆さんが勝手な望みを言い出せば、母親は苛々するばかりだ。 生物は細胞があれば、生きるのに必要なエネルギーをつくる製造ラインが自前でもてるのだが、ウィルスにはその代謝力がないのである。
11食後や疲れたときにここに坐り、たいてい本を読む。 」 とされ、本語の初出は、まで遡れると思われる。
」 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。
そのことに苦言を呈した。
だから二重置きしているほうが圧倒的に多い。 漠然と、自分もこのような子育てしたいと思いました。 (Tamiさん 40代・ママ 男の子8歳). いつも300冊くらいが少しずつ着替えているくらいだと思う。
20それは7割がたは「本」による散策だ(残りはノートの中での散策)。
日本人がアジア人であるかどうか、今後も問われていくだろう。
人間一人ずつに対処して治療する。
それより内田樹、宮台真司、上野千鶴子、篠原雅武に対するインタヴューの答えのほうが、ずっとおもしろかった。 けれどもいわゆる細菌や病原菌などの「バイキン」とは異なって、正体が説明しにくい。 自然を表現した文章があまりに情緒的でとにかく素敵な本です。
8ゼツヒツの1冊だ。
レイチェルからの力強いメッセージが、かつて子どもだったすべての大人に贈られているようです。
年中・年長になると子どもだましは効かなくなり、実験グッズがおもちゃのようだと子どもは本気になりません。
ただ、家族で川遊びしていたときに「魚がいない」と言ったら「気配を消してじっと見つめてごらん」とアドバイスくれたり、さなぎがチョウに孵化するのは明け方なんですが、その時を待ちつつも寝落ちすると、母が「もうすぐチョウになるわよ」と起こしてくれたりしていました。 「苦労する免疫」仮説を唱えて話題を呼んだ。 父は放任主義、母は見守る子育てだったような気がします。
7当時はFAXもなく、オートバイで資料やダミーや原稿を運びあって、制作編集をしつづけたものだった。 生前、彼女がねがっていたように、この本をロジャーにおくる」 ロジャーはレイチェルの姪の息子で、『センス・オブ・ワンダー』はロジャーとレイチェルがいっしょに海辺や森のなかを探検し、星空や夜の海を眺めたかけがえのない経験をもとに書かれた作品です。
「偶然」に対する希求と筋力が落ちているという指摘も、その通りだ。
外出先を制限すれば、居住性のほうに危険が移る。
それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。
18鳥たちのさえずりが聞かれなくなった「沈黙の春」…。 それは「煙草」と「お茶」(あるいは珈琲)だ。
的な表現手法やアイディア、あるいは強烈なイメージによって、 作用が特に働いた場合、生じることが多い。
これは、ある夏の日の保育の一場面です。
」 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない 『センス・オブ・ワンダー』は、1956年に雑誌に発表された「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう」と題して掲載されたエッセーがもとになっています。 すべての子どもが生まれながらに持っているこの感性を、多くの人が大人になるにしたがって失ってしまいます。 部屋ではなく書棚で囲んだ領土(領分)になっていて、8畳まで広くない。
19当時のアメリカでは化学物質の開発が進み、その危険性が検証されないまま大量に実用化されていました。
本を摘読することと着替えることとは、まったく同義のことであるからだ。
私自身も仕事で疲れて星空を眺めたりする時間を削ってしまわないよう、時々思い出しては読み直しています。